御隠殿(鶴岡市)概要: 御隠殿の建っている場所は酒井氏が庄内藩(藩庁・鶴ヶ岡城)になった当初から庄内藩の御用屋敷が置かれ、慶安年間(1648〜1651年)には酒井忠勝の次男忠俊の住居がありました。宝永4年(1707)には酒井忠真が女中御屋敷を造営しています。現在建っている建物は、文久3年(1863)に藩主の隠居所として建てられたもので、当時、江戸では生麦事件の発生やイギリスとの関係悪化に備え、幕府が参勤交代制度を改めた為、急遽、前藩主夫人や家族など江戸から鶴ヶ岡城の城下に退去してきました。そこで、酒井家の江戸屋敷の中で御隠殿や高畑御花畑御殿などを一時解体し、鶴岡まで船で搬送し移築し、退去した家族らの住居として利用しました。特に奥の座敷は能を催す為、厚い床板を使用し床下には大甕を敷き詰め音響をよくしたといわれています。御隠殿北面にある庭園は作庭年代や作者などは不明ですが、鳥海山を借景とした築山林泉庭園で、築山を中心に池や石など巧みに配置し、東北では少ない典型的な書院庭園として大変貴重な事から国指定名勝に指定されています。
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