上山城の武家屋敷

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旧曽我部家旧曽我部家住宅
曽我部家は江戸時代中期に上山藩主松平信通に従い当地に赴任し、藩では宗旨奉行や馬廻役などを歴任した中級武士です。主屋は木造平屋建、寄棟、茅葺、武家中門造、中級武家屋敷、上山市指定有形文化財。
森本家住宅森本家住宅
森本家は丹波国多紀郡大雲郷出身で丹波篠山藩の藩主松平家に仕え、松平信通の上山移封に伴い当地に赴任しました。現在の主屋は江戸時代後期に建てられたもので、木造平屋、武家中門造、茅葺、上山市指定有形文化財。
三輪家住宅三輪家住宅
三輪家は中津藩奥平家の家臣でしたが江戸時代後期に上山藩の藩主松平信吉の家臣となり側用人や勝手方などを歴任しました。現在の主屋は文化年間に建てられたもので、木造平屋、武家中門造、茅葺、上山市指定有形文化財。
山田家住宅山田家住宅
山田家は常陸国茨城郡笠間出身の松平家の家臣で、松平信通が上山藩移封に伴い当地に赴任し惣領席や馬廻席、寺社奉行などを歴任しました。主屋は文化元年に建てられた中級武家屋敷の遺構で上山市指定有形文化財。
上山城
上山城【上山城・概要】上山城は戦国時代に武衛義忠によって築かれた平山城です。義忠は当初、最上家に従ったいましたが、その後、伊達家に転じた為、最上家が義忠の家臣である里見氏を調略し暗殺させています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは会津黒川城主上杉家の執政直江兼続が領内に侵攻しますが、里見民部が上山城を死守しています。元和8年(1622)、最上家が御家騒動により改易になると、里見家もこの地を去り、松平重忠が入封し上山藩を立藩します。上山城は藩の中心施設として藩庁、藩主居館が設けられるなど改修され、土岐頼行の代には三重櫓が造営され「羽州の名城」とも呼ばれました。土岐頼殷が移封になって以降は三重櫓が破却されるなど、縮小傾向となり、本丸はほとんど利用されなくなります。上山藩では松平重忠(4万石)、松平重直(4万石)、蒲生忠知(4万石)、土岐頼行(3万5千石)、土岐頼殷(3万5千石)、金森頼時(3万8千7百石)、松平信通(3万石)、松平長恒(3万石)、松平信将(3万石)、松平信亨(3万石)、松平信古(3万石)、松平信愛(3万石)、松平信行(3万石)、平信宝(3万石)、松平信庸(3万石)、松平信安(3万石)が藩主を歴任して明治維新を迎えています。明治時代に上山藩が廃藩になると上山城も廃城となり、跡地は公園として整備され上山市指定史跡に指定されています。又、周辺には4棟の茅葺屋根の武家屋敷が残されており何れも上山市指定文化財に指定され、当時の武家町の名残を見る事が出来ます。「全国の武家屋敷・家老屋敷」参照。
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