熊野大社:歴史的建築物

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拝殿拝殿
熊野大社拝殿は天明7年(1787)の墨書が残されている事から江戸時代中期から後期に建てられたと推定されるもので、入母屋、茅葺、正面千鳥破風、桁行7間、梁間3間、正面3間軒唐破風向拝付、山形県指定文化財。
二宮神社二宮神社
二宮神社は熊野大社の末社で祭神として熊野早玉大神、伊弉諾尊が祭られている事から「若王子」とも呼ばれています。現在の建物は室町時代末期に造営された古建築物で、一間社流造、銅板葺、素木造、山形県指定文化財。
土社神社土社神社
土社神社は熊野大社の末社で祭神として訶志古泥神(酉年の守り神)が祭られています。現在の社殿は室町時代末期に造営された古建築物で、一間社流造、銅板葺(元茅葺)、正面1間向拝付、素木造、山形県指定文化財。
三宮神社三宮神社
三宮神社は熊野大社の末社で祭神として熊野家津御子大神が祭られています。現在の社殿は墨書から江戸時代初期の寛永3年(1626)頃に造営された建物で、三間社流造、銅板葺、見世棚造、三間向拝付、南陽市指定文化財。
本殿本殿
・熊野大社本殿は一間社入母屋造、銅板葺、妻入。随所に精緻な彫刻が施されており、中でも彫刻された3羽の兎を見つける事が出来た人は念願成就や恋愛成就すると伝えられており多くの参拝者が訪れます。
鐘楼鐘楼
・熊野大社は古くから神仏習合し、修験道の一大拠点として大きく繁栄しました。社号も当時は熊野山證誠寺と号し、本社である紀州の熊野三山と同じ寺号を掲げていました。現在でも仏教色の強い鐘楼が残されています。
神楽殿神楽殿
・神楽殿は入母屋、茅葺、外壁は柱のみ3方吹き放し、欄干部朱塗り。拝殿に全面に立ち、現在も神事の際には神楽などが奉納されています。現在では数少なくなった茅葺屋根の神楽殿で、荘厳な雰囲気が感じられます。
熊野大社
熊野大社【熊野大社・概要】−熊野大社(山形県南陽市)は何時頃から祭られているかは判りませんが、平城天皇(第51代天皇・在位:延暦25年806年〜大同4月809年)の勅命により平安時代初期の大同元年(806)に再興されたと伝わる古社です。古くから神仏習合し貞観6年(864)には高僧として知られ第3代天台座主である慈覚大師円仁によって熊野三神に対して、それぞれ本地仏を彫刻して安置し、以後、当地方を代表する修験道の一大拠点として繁栄し「東北の伊勢」とも云われました。歴代領主からも崇敬庇護され、特に米沢城(山形県米沢市)から境内が北東方向に位置する為、鬼門鎮守に位置付けられ、天正18年(1590)には米沢城主伊達政宗が別当寺院である熊野山證誠寺に対して仏供灯明田を安堵し、慶長9年(1604)には米沢藩主上杉家執政の直江兼続が大檀那となり熊野大社の社殿の修復が行われています。境内社が多く、中には上杉家に従った色部氏が出羽金山城(南陽市)が配された際に、信仰していた保呂羽神社が建立されています。熊野大社は仏教色の強い神社でしたが明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈、修験道廃止令により「熊野神社」に社号を改めています。境内には鐘楼が残されているなど神仏習合の名残が残されています。

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