行在所(山寺立石寺)概要: 案内板によると「 この建物は、明治41年9月18日、当時東宮(皇太子)であった大正天皇が山寺に行啓(参詣)された時に御休息なされた建物であり、そのときに自ら植えられた松やその後建立された記念碑とともに当時のまま保存しているものです。 天童山寺行幸史跡保存会 」とあります。行在所の建物は木造平屋建、入母屋、鉄板葺、桁行3.5間、梁間3間、棟梁は現在の天童市出身の加藤祐作、福棟梁は現在の山形市出身の水野定治。内部は8畳の畳間を中心に3方が廊下兼縁側で柱と建具で構成している事から山寺立石寺全体を見渡せる構成になっています。西側は格式の高い床の間で、畳の縁や高欄の欄干、石柵、門扉、懸魚などの意匠にもこだわりが見られます。ただし、外観は極めて単純化し山寺の景観や他の建物の中に溶け込むように計画され当時の技量が窺えます。向って左側には元々あった茶寮が移築され渡り廊下で行在所と繋がれていましたが昭和53年(1978)に基礎の石垣が崩落した際に倒壊し撤去されています。
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