開山堂(山寺立石寺)概要: 開山堂は山寺立石寺を開山した慈覚大師が入定した百丈岩の平場に建てられた建物で信仰上でも重要視されていました。建物は入母屋、正面千鳥破風、銅板葺、平入、素地造、桁行3間、梁間2間、正面1間唐破風の向拝付、向拝欄間部には龍、木鼻には獅子、唐破風懸魚には鳳凰など精緻な彫刻が随所に施されています。
案内板によると「 立石寺を開いた慈覚大師のお堂で、大師の木造の尊像が安置されており、山内の僧侶が朝夕、食飯と香を供えてお勤めしている。江戸時代末期の再建である。・・・・後略 」とあります。
伝承によると貞観6年(864)慈覚大師円仁が比叡山で没すると遺骸は山寺立石寺に運ばれ百丈岩の中腹にある入定窟に葬られたと伝えられています。
比叡山側の伝承にも大師の胴体は比叡山に首は山寺立石寺に葬られたと伝わっており当地が神聖視されていた事が分かります(別の伝承では比叡山に葬られた大師は御棺から抜け出し紫雲に乗り東方に飛んで行き、御棺には草鞋だけが残されたとも云われています)。
昭和23年(1948)の発掘調査では入定窟には金箔の御棺が安置され、熟年男性(火葬)、熟年男性(非火葬)、老年男性(火葬)、首無し男性(非火葬)、熟年女性(非火葬)の5体の遺骸と円仁と思われる頭部の木像が収められている事が分かりました。この事から首無し男性の遺骸が大師のもので頭部を木像として葬られたとも云われますが確証が無く今後の調査が待たれています。
毎年1月14日の大師の命日には法要が行われ開山堂に安置されている大師尊像が御開帳となります。又、入定窟で発掘された慈覚大師頭部木像と木棺は平成18年(2006)に国指定重要文化財に指定されています。
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